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福岡高等裁判所 昭和47年(う)276号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山本草平提出の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、福岡高等検察庁検察官柴田和徹作成名義の答弁要旨と題する書面、および同検察庁検察官堀賢治作成名義の意見陳述書と題する書面に各記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

同控訴趣意について。

所論は要するに、被告人は軽四輪乗用自動車を運転して、時速約三〇キロメートルで道路の左側部分を通行していたものであつて、被告人の右運転方法は、本件事故現場の道路の状況および交通の状況等に照らしても、原判示のように他人に危害を及ぼすような速度と方法であつたとは認められない。本件衝突事故は、対向車両である川野勝運転の普通貨物自動車が、道路の中心線を越えて被告人車の前方の道路左側部分に進出してきた同人の一方的過失によつて発生したものである。従つて、原判決には事実を誤認し、その結果法令の解釈、適用を誤つた違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

一、そこで、所論に鑑み、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をも総合して考察するに、原判決挙示の証拠、および当審における事実取調の結果を総合すると、

(一)、本件事故現場は、別府市大字鶴見字明礬六組別府温泉保養ランド前付近の県道別府安心院線上であつて、道路の幅員は場所によつて若干の広狭があるが、事故発生地点の道路の幅員は約5.2メートルであり、センターラインは設けられていないが路面はアスファルトで舗装されており、道路の南側には幅約四〇センチメートルの側溝が設けられているのに対し、北側には道路とほぼ高さを同じくする幅約八〇センチメートルの空地が隣接し、なお車両の交通量は相当多いこと、

(二)、そして、右道路は、本件事故現場付近において、被告人の進行方向である東方の鉄輪方面よら西方の明礬方面に向い約三、五度の上り勾配をなし、左側(南側)にカーブしており、且つ左側が路面より若干小高い段状の水田等になつており、事故当時は草が生えていたため前方の見通しは良くなかつたが、それでもカーブに差掛つた箇所における道路の左側部分から対向車の来る道路の右側部分(但し同所には前記のとおりセンターラインは設けられていないので、ここにいう道路の右側または左側部分とは進行方向からみて道路の中央より右側または左側部分をいう。以下同様。)の交通の状況は、少くとも三〇メートル以上は十分見通すことができ、対向車両の車体の一部を発見し得る距離は、これよりも更に長いこと、

(三)、しかして、被告人は、原判示の日時に軽四輪乗用自動車(車幅約一、三メートル)を運転して、鉄輪方面から明礬方面に向け道路の左側部分を時速約三〇キロメートルで進行し、本件事故現場付近にさしかかつた際、少くとも進路の約四〇メートル以上前方の地点を対向進行してくる川野勝運転の普通貨物自動車(車幅一、九九五メートル、車長五、七メートル、二トン積で当時カーステレオ約一、五トンを積載していた。)を発見、同車が道路の中央寄りを走行していたところから、警笛を吹鳴して注意を喚起し、自車が道路の左側部分を走行していたし、道路の幅員および川野車の車体の大きさ等からみて同車が道路の右側部分に戻り、そのまま進行しても同車と安全に離合しうるものと信じて進行したところ、同車が意外にも余り右側に寄らずに進行してきたため、衝突の危険を感じ、直ちに急制動の措置を講じたが、及ばず、道路の中央より左側部分に約一五センチメートル入つた地点で、自車の右前部と川野車の右側後車輪前部カバー付近とが衝突するに至つたこと、

(四)、一方右川野は、同所を明礬方面から道路の中央寄りに、自車の前部右側端が道路の右側部分に約一〇センチメートル入つた状態で、時速約四〇キロメートルの速度で進行中、少くとも前方三〇メートル以上の地点に被告人車を発見したが、自車の左側にはなお相当の余地があつたのにもかかわらず、進路を僅かに左にとつたのみで、自車の車体右側後部がなお道路の右側部分に若干入つているのに気付かず、被告人車と安全に離合しうるものと軽信し、漫然同一速度でそのまま進行を続け、被告人車と衝突し、その衝突音を聞いて初めて急制動をかけると共に左に転把して自車を停車せしめたこと、の諸事実が認められ、右認定を左右するに足る措信すべき証拠はない。

二(一)、そこで、選んで被告人の右認定の運転方法が他人に危害を及ぼすようなものであつたか否かを検討するに、車両は、法定の除外事由がない限り道路の左側部分を通行しなければならないことは道路交通法の明定するところである(当時施行の道路交通法一七条三、四項参照。)。そして、前記認定のとおり本件事故現場の道路の幅員は約五、二メートルであるから、その片側の車両の通行区分の幅員は約二、六メートルであり、一方前記川野車の車幅は一、九九五メートル、その車長は五、七メートル程度であつたのであるから、右道路が前記の如くカーブしていたとはいえ、この場合は川野車にとつて、同条四項二号にいう道路の左側部分の幅員が当該車両の通行のため十分なものではないときに該当しないことは明らかであるし、更に川野車にとつて、現場は右カーブであり、しかも前記認定の如く左側にはこれと高さを同じくする幅約八〇センチメートルの空地すらあつたのであるから、道路の左側部分を通行することが困難であつたとは認められず、事実右川野自身も、原審および当審における各証言において、自身が道路の左側部分を通行し難い特段の事情があつたことについては、なんら述べていないのである。しかして、車両の左側通行の原則は、自動車運転者にとつて最も基本的な義務であるから、前記の如く道路の左側部分を進行していた被告人が、対向進行してくる右川野車を認めた際、同車が自車の通行区分に若干入つているのを認めたものとしても、警笛を吹鳴して自車の存在につき同車の注意を喚起していることでもあり、右に述べた道路および川野車の状況等から、同車と離合するまでの間に、同車が道路の右側部分に戻り、同車と安全に離合しうるものと信じたことは無理からぬことであり、且つこのような信頼を相当としないような異常な動静が右川野車にあつたことを窺わしめる証拠はない。そして、このような場合、自動車運転者としては、川野車が道路交通法規に従い、自車との離合前にその通行区分内に戻るであろうことを信頼して進行すれば足り、同車が右法規に違反してその通行区分内に戻らないような場合まで予想して、更に左側に待避すべき注意義務はないものというべく、従つて、被告人が右川野車と離合するに際し、道路の中央から約一五センチメートル左側を進行していたことをもつて、他人に危害を及ぼすような運転方法であると認めることは到底できない。

(二)、次に、被告人車の速度の点であるが、本件事故現場の道路はカーブしているとはいえ、対向車の来る右側部分の交通の状況を三〇メートル以上も手前から見通しうる状況であつたことは前記認定のとおりであるから、対向進行する車両間において、相手方車両を発見し、且つこれと安全に離合するための措置をとりうる道路状況であつたものというべく、右の事実および前記認定の本件道路が車両の交通量の相当多い道路である等の交通事情をも併せ考えれば、被告人が自車を走行せしめていた時速三〇キロメートルの速度を更に減速し、あるいは徐行すべき注意義務はないものというべく、従つて、被告人が右速度で自車を走行せしめていたことをもつて、他人に危害を及ぼすような速度であると認めることはできない。なお検察官は、道路交通法四二条の趣旨に進じて、本件の場合にも被告人に更に減速、徐行すべき義務がある旨主張するが、同条は直角またはこれに近い角度で曲つている道路等について、出合いがしらの衝突を防止するために車両の運転者に対し徐行すべき義務を定めたものであるから、道路の屈曲度を著しく異にする本件道路について、同条に準じた徐行義務を認めることはできない。

三、以上のとおり、被告人の本件運転行為が他人に危害を及ぼすような速度あるいは方法であつたと認めることはできないし、ほかにこれを断定すべき証拠がない。従つてこれを肯定して道路交通法七〇条後段、一一九条一項九号の罪の成立を認めた原判決には、事実を誤認し、その結果法令の解釈、適用を誤つた違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

四、そこで、刑事訴訟法三九六条一項に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い自判する。

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和四六年七月一六日午後零時四〇分ころ、別府市明礬六組別府温泉保養ランド前付近道路において、軽四輪自動車を運転中、同所が幅員約五、二メートルの見通しの悪い左曲りカーブであるから、できるだけ道路左側寄りを進行しなければならないのに、道路の中央寄りを時速約三〇キロメートルで進行し、対向進行してきた普通貨物自動車の右側後部に自車の右前部を衝突させ、もつて他人に危害を及ぼすような速度と方法で運転したもの。」というのであるが、前記説示のとおり、被告人の本件運転行為が他人に危害を及ぼすような速度あるいは方法であつたとは直ちに認められず、本件公訴事実については犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(松本敏男 井上武次 吉田修)

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